小学生の携帯電話
◆居酒屋でも「今さら小学生に携帯電話を持たせるな、とは時代錯誤がはなはだしい」「パソコンの授業が行われる時代だから、携帯を正しく使う方法を教えるべきだ」といった、子供の携帯電話に関する話題が聞かれる。自民党や政府が小中学生に携帯電話の所持の制限を求める動きには、庶民は概ね反対なようだ。新聞でも日本経済新聞が2008年5月24日付けの社説で「子どもの携帯”禁止”は安易だ」と書いている。
本来は、携帯電話が小学生に必要か必要でないかを国が決定して、それを押し付けるべきではない、と思う。
そんなことは家庭や学校で決めるべきことだろう。
従来の感覚ではそれでよかったかもしれないが、子供を甘やかし好き勝手に育てている家庭で携帯電話の禁止を強制できるはずもない。まして子供に物が言えない学校が、子供に携帯の所持禁止を言えるだろうか。言ったところで誰も守りはしないだろう。
政府などのいう携帯の規制には、所持は18歳以上からなどと年齢を規定するほか、学校では携帯電話との付き合い方を教えるなど、若干の修正が必要だと思う。
でも、果たして小学生に携帯電話は必要なのだろうか。
日本経済新聞の社説では「携帯電話が防犯に有効な面もあるし、うまく使えば子ども同士や親と子どもがコミュニケーションを図るのにも役立つだろう」と、携帯を持つ有用性を述べている。
持たせるべきではないと言っている教育再生懇談会では、どうしても携帯電話を持たせる場合は通話と居場所確認機能のみの端末に限定することと、有害情報を遮断するフィルタリングを法的に義務付けるとしている。
◆携帯電話による弊害のひとつにメールへの依存度が高まることがある。
日経の社説にもあるように、日本PTA全国協議会の調査では、中学2年生の半数が深夜でもメールのやり取りをすると答えているという。
携帯メールの多用は、人の思考能力の低下を招く。
雑誌「諸君」6月号で文芸評論家の酒井信氏は、人は相手と接する時に想像力をめぐらして言葉を綴るべきだし、数10分おきにメールをチェックしたり、数メートルの距離にいる相手に次々とメールを送るのはおかしい、と書いている。
この指摘は大人に対してのものだが、それと同じことが、いやそれ以上のことが子供の間では見られるようになっている。
メールの多用による弊害は、まず漢字を覚えないし、忘れてしまう。
しかも最近の携帯メールは、前回に使用した単語が優先的に順に出てくる。これは想像力を欠く原因にもなる。
新しい知識を吸収すべき時期の小学生には、使わせるべきものではないだろう。
評論家の大宅壮一郎氏が生前、テレビは日本国民を一億総白痴にする、と言ったが、テレビ放送が始まって55年を経過して、すでに第2、第3の白痴世代に入っている。携帯電話を規制なく子供に使わせるとその総白痴化は、一層に進行することになるだろう。